八幡商業高などの野球部監督として、春夏計9回、チームを甲子園に導いた「林勝(はやしまさる)」さんが9月、84歳で亡くなった。滋賀の高校野球の一時代を牽引(けんいん)した名将だった。生徒に向き合う姿勢や贈った言葉は、教え子や指導者たちの心に生きている。

林さんは、旧木之本町(現長浜市)出身。伊香高、日本大卒業を経て能登川高に赴任した。1966年に野球部の監督に就き、高校野球の指導者としてのスタートを切った。
甲子園は、「能登川高」で1975年春に、「長浜高」で1984年夏に、「八幡商業高」で春夏計7回出場した。八幡商業高時代の1988~91年には滋賀大会初の4連覇、1993年には選抜大会で8強入りした。八幡商業高で定年を迎えたあと、母校の伊香高で指揮を執った。

教え子たちが「恩師」と慕う林さんは、どんな指導者だったのか。取材から浮かび上がってくるのは、人生を歩む人間を育成するという視点に立ち、生徒ひとりひとりに真摯(しんし)に向き合う姿だ。
■「野球を通じて人間性の向上を図る」
林さんが八幡商業高の監督時代、そう言っていたと振り返るのは、同校教頭の池川準人(はやと)さん。八幡商業高が滋賀大会を3連覇したときの主将だ。そして、林さんが定年退職するまでの3年間、部長として林さんのもとで学んで後を継ぎ、八幡商業高を春夏計4回、甲子園に導いた。

林さんの大きな功績は、能登川、長浜、八幡商業の公立3校で甲子園に出場したことだ。池川さんによると、林さんは普段は穏やかだったが、試合になると厳しい勝負師に変わった。滋賀県外の甲子園経験校の監督らとの人脈も豊富だった。林さんの教えは脈々と受け継がれていると言い、「林門下生や林先生に教わった指導者が、どういう野球をするのか、林先生は見守っている」と話す。
■「うまくいかへんときは、自分が成長できている」
「うまくいかへんときは、自分が成長できていると思ってやらなアカン。辛抱せえ」
その言葉が印象に残っているというのは、2021年から八幡商業高の監督を務める小川健太さん(44)。同校の監督が林さん、部長が池川さんだったときに主将を務めた。
小川さんは、高校時代に林さんに提出していた野球ノートを今も持っている。そこには、感謝の気持ちを持つことの大切さなど、林さんからのメッセージが書き込まれている。
「野球もそうですけど、人生の生き方を教えてもらった」と小川さんは言い、「どうやって子どもを育てたらいいか、すごく神経をつかっていた。高校生ながらに感じるところがあった」と振り返る。
■「人間性を磨け」
よくそう言われたというのは、近江兄弟社高で監督・部長を計36年務めた、同校非常勤講師の伊藤之久(ゆきひさ)さん。林さんの率いる能登川高が1975年に選抜大会に出場したのを見て同校に進み、1年生のときは林さんが担任だった。
林さんは優しく愛のある先生だったといい、「全員を我が子のように扱ってくれた。みんなゾッコンやった」と懐かしむ。伊藤さんが近江兄弟社高の指導者になってからは、林さんを目標にし、よく教えを請いに行った。そのたびに林さんからは「子どもに愛を持って接しているか」などと言われたという。近江兄弟社高の監督だった1993年夏、滋賀大会初戦で林さんが率いる八幡商業高を破り、その勢いで優勝。初めて甲子園に出場した。振り返ると不思議な縁で、伊藤さんは「元気なときの林先生のイメージを持ち続けたい」と話す。
■「子どもがどんなことを思っているか、考えたことあるか」
「多賀やん、子どもがどんなことを思っているか、考えたことあるか」
近江高を春夏計23回、甲子園に導いた多賀章仁さんも影響を受けた一人だ。1989年に近江高の監督に就く前から交流があったといい、「人間的な部分でも影響を受けた。林先生との出会いが、監督としての出発点の礎になった」と話す。
多賀さんも、生徒たちの心に寄り添って指導することの大切さや、それがチームの成長につながることを林さんから学んだ。「(分け隔てなく公平に生徒を評価するために)自分の中で物差しを持たなアカン」とよく言われたという。八幡商業高のベンチを見ていて、林さんが生徒から信頼されているのがよくわかったという。生徒に対する指導のところどころで林さんの言葉を思い出していたといい、「林先生がいたからこそ、私の高校野球の監督としての人生があったというぐらい、お世話になった。『ありがとうございました』の言葉しかない」と感謝する。
■「人生に夢を」

林さんの長浜市の自宅には、林さんが揮毫(きごう)した色紙が置かれている。
妻の孝子さんによると、林さんは9月14日に自宅で亡くなった。老衰だった。ここ2、3年は体が弱り、孝子さんが自宅で介護をしていた。林さんの手を握り「ありがとう」と声をかけていたという。
林さんは、滋賀県高校野球連盟が1994年に発行した連盟史「球跡(たまあと)」に寄せたメッセージのなかで「『湖国』に大旗を持ち帰りたいと願いながら、残り少ない人生を高校野球に、捧げたいと思っています」と記している。
孝子さんは、野球一筋だった夫の人生を振り返り、思いをはせる。「野球があったからこそ元気でこられて、いい思いもさせてもらった。天国で思い出に浸って、にっこりしてるんちゃうかな」
<記事・写真: 朝日新聞より>