スローライフ滋賀

「スローライフ滋賀」は「スローライフ」及び「滋賀の地域情報」を発信中。「ウォーキング三昧」ブログをルーツとするが2025年10月、「スローライフ滋賀」に統合済です。。

11/14~ 「大本山永源寺ライトアップ」(東近江市)

 「大本山永源寺ライトアップ」が11月14日(金)~29日(土)、「境内のともしびライトアップ」が11月22日(日)に開かれる。

 ライトアップの時間は、月~木曜日は17:00~18:30、金~日曜日は20:00まで。

入山には志納料: 大人600円、中学生200円。小学生以下は無料。


 11月22日(土)の「ともしびミニライブ」は、ライトアップされた幻想的な境内で音楽を楽しむ。17:00~、本堂で開かれる。出演は、鈴鹿壱番太鼓、ジャズコンボ「名輪朱美&TheRest」。

主催の永源寺地区まちづくり協議会: IP電話050―5802―9336)

滋賀報知新聞より>

【お茶の間無線局】 3.5MHz 西アフリカ「トーゴ」の「5V7RU」入感するも交信出来ず

11月8日早朝、西アフリカ「トーゴ」の「5V7RU」が3.5MHz/FT8で入感した。

 今回初めて3.5MHzで「トーゴの5V7RU」がデコード出来た。当日、受信開始直後は信号がデコード出来なかっあたが暫くすると比較的強い信号強度となり、5V7RUも積極的に多くのJAを取ってくれていた。しかし、パイルアップは激しく残念ながら当局には応答がなく、その内、見えなくなり交信は出来なかった。

 季節は秋の本格的なDXシーズンとなりアフリカも3.5MHzなどのLOWバンドでも入感するようになってきた。しかし、依然として当局は3.5MHzでhニューカントリーと交信出来ない日が続いている。ミニステーションには厳しいLOWバンドの壁である。

 尚、この「5V7RU」局は11月5日~19日までの運用予定であり、残りの期間に3.5MHzでの交信の機会があるのを期待したい。その他のバンドにもアクティブにオンエアーしており交信したいものだ。

 因みに当局は1970年代末の昔、下記の地図にあるガーナとブッキナファソ(旧アッパーボルタ)を訪れたことがある。ガーナは飛行機でアクラ空港に到着した時、首都でクーデターがあったようで不穏な情勢に巻き込まれるのを避けるためジャストストップオーバーでアクラを離れ、次のコートジボワールに飛んだことを覚えている。ガーナは独立の父、エンクルマがアフリカで1番目に独立させた国で安定しているとばかり思っていたのでこの時の騒ぎはいささか驚いた。よってガーナは空港内しか知らない。ブッキナファソへはコートジボワールの首都アビジャンから往復した。

トーゴ                                                      ギニア湾に面した西アフリカの国で、ヤシの木が生い茂るビーチと丘の上にある村で知られてる。バタマリバ人の居住地クタマクは、まるで要塞のような塔状の泥の家が建つ、17 世紀から続く伝統的な集落。首都ロメには、複数階に渡るグランマルシェのバザール(市場)の他、ブードゥー教に関係する伝統的な呪物や治療薬が売られているフェティッシュ マーケットがある。 

  

 

【お茶の間無線局】 11月4日 JARL「全世界1万局賞」 7,000局(コンファーム)突破

                                ↑JR3XUH局の全世界1万局賞

 2025年11月4 JARL「全世界1万局賞」 の交信数が遂に7,000局(コンファーム)を突破した。

 約5年前にHAMを再開以降、この賞のことを意識したことがなかったが実際的に意識したのは2025年の春であった。従ってこの賞のルールに合致する交信がどれだけ出来ているのか全く分からなかった。交信総数だけはログで簡単に分かるのだが交信後のコンファメーションがまず必要で、その次はこの賞は「交信は1局1回のみに限定」されるので交信数は更に減ることになる。

 現に7,000局の時点で言えば、交信総数は約22,000回・局、コンファメーションは12,000回・局である。現実の数はそこから「1局1回」のルール」に基づき、賞の有効交信局数は交信総数の約1/3=7,000局となっている。最近は新しい局との交信を意識しているのでこれまでのデータより1万局賞ルールの交信局数はアップしている。

これまでの経過を見ると、

・2025年5月12日時点で5,700局だった。

・約1ヵ月後の6月7日(土)には「6,003局」コンファームを達成していた。

・4ヶ月後の10月5日時点では、「6,836局」とコンファームできており、一挙に「833局増加」したことになる。

・そして、今回11月4日7,000局に達した。

 1万局までの一里塚であるが実績データでは、この半年で1,300局(コンファーム)交信したことになる。1万局賞に正式に取り組み始めた時は「2025年内に7,000局達成」を漠然とした思い付きの願望的目標値だったが予想より約2ヶ月早く到達したことになる。

 これらのデータは全てARRLの「LoTWのログデータ」であり、「eQSL」を含めればもう少し、数値は上がるだろうが「eQSL」はカウントはしていない。「海外1万局交信」はいつかは到達するのでそう急ぐことはない。このまま「LoTW」1本でやるつもりだ。

 さあ、1万局まであと3,000局。総交信数の1/3程度が1万局賞に有効な交信数だったので、今後、月間200~250局/年間2500~3,000局程度新局との交信と、コンファメーション数を1,500局程度としたい。残り3,000局を2年間で交信すれば総交信数は「30,000回・局」となり、最低でもその1/3が「1万局賞」の有効局数と推測できる。

 実際はこれまで未交信の新局との交信を意識しており、賞に有効な局数はスピードアップしている筈だ。もし、上記の目標が達成できれば 2026年には「8,500局」程度に到達し、「1万局賞」達成は2027年内となる。早ければ2027年の中ごろに早まるかもしれない。まだまだ先の長い話である。

滋賀の公立3校野球部監督(八幡商業・能登川・長浜)で甲子園に9回出場、「林 勝さん」が教え子らに残した言葉

 八幡商業高などの野球部監督として、春夏計9回、チームを甲子園に導いた「林勝(はやしまさる)」さんが9月、84歳で亡くなった。滋賀の高校野球の一時代を牽引(けんいん)した名将だった。生徒に向き合う姿勢や贈った言葉は、教え子や指導者たちの心に生きている。

 林さんは、旧木之本町(現長浜市)出身。伊香高、日本大卒業を経て能登川高に赴任した。1966年に野球部の監督に就き、高校野球の指導者としてのスタートを切った。

 甲子園は、「能登川」で1975年春に、「長浜高」で1984年夏に、「八幡商業」で春夏計7回出場した。八幡商業高時代の1988~91年には滋賀大会初の4連覇、1993年には選抜大会で8強入りした。八幡商業高で定年を迎えたあと、母校の伊香高で指揮を執った。

 教え子たちが「恩師」と慕う林さんは、どんな指導者だったのか。取材から浮かび上がってくるのは、人生を歩む人間を育成するという視点に立ち、生徒ひとりひとりに真摯(しんし)に向き合う姿だ。

 ■「野球を通じて人間性の向上を図る」

 林さんが八幡商業高の監督時代、そう言っていたと振り返るのは、同校教頭の池川準人(はやと)さん。八幡商業高が滋賀大会を3連覇したときの主将だ。そして、林さんが定年退職するまでの3年間、部長として林さんのもとで学んで後を継ぎ、八幡商業高を春夏計4回、甲子園に導いた。

 林さんの大きな功績は、能登川、長浜、八幡商業の公立3校で甲子園に出場したことだ。池川さんによると、林さんは普段は穏やかだったが、試合になると厳しい勝負師に変わった。滋賀県外の甲子園経験校の監督らとの人脈も豊富だった。林さんの教えは脈々と受け継がれていると言い、「林門下生や林先生に教わった指導者が、どういう野球をするのか、林先生は見守っている」と話す。

■「うまくいかへんときは、自分が成長できている」

 「うまくいかへんときは、自分が成長できていると思ってやらなアカン。辛抱せえ」

 その言葉が印象に残っているというのは、2021年から八幡商業高の監督を務める小川健太さん(44)。同校の監督が林さん、部長が池川さんだったときに主将を務めた。

 小川さんは、高校時代に林さんに提出していた野球ノートを今も持っている。そこには、感謝の気持ちを持つことの大切さなど、林さんからのメッセージが書き込まれている。

 「野球もそうですけど、人生の生き方を教えてもらった」と小川さんは言い、「どうやって子どもを育てたらいいか、すごく神経をつかっていた。高校生ながらに感じるところがあった」と振り返る。

 ■「人間性を磨け」

 よくそう言われたというのは、近江兄弟社高で監督・部長を計36年務めた、同校非常勤講師の伊藤之久(ゆきひさ)さん。林さんの率いる能登川高が1975年に選抜大会に出場したのを見て同校に進み、1年生のときは林さんが担任だった。

 林さんは優しく愛のある先生だったといい、「全員を我が子のように扱ってくれた。みんなゾッコンやった」と懐かしむ。伊藤さんが近江兄弟社高の指導者になってからは、林さんを目標にし、よく教えを請いに行った。そのたびに林さんからは「子どもに愛を持って接しているか」などと言われたという。近江兄弟社高の監督だった1993年夏、滋賀大会初戦で林さんが率いる八幡商業高を破り、その勢いで優勝。初めて甲子園に出場した。振り返ると不思議な縁で、伊藤さんは「元気なときの林先生のイメージを持ち続けたい」と話す。

■「子どもがどんなことを思っているか、考えたことあるか」

 「多賀やん、子どもがどんなことを思っているか、考えたことあるか

 近江高を春夏計23回、甲子園に導いた多賀章仁さんも影響を受けた一人だ。1989年に近江高の監督に就く前から交流があったといい、「人間的な部分でも影響を受けた。林先生との出会いが、監督としての出発点の礎になった」と話す。

 多賀さんも、生徒たちの心に寄り添って指導することの大切さや、それがチームの成長につながることを林さんから学んだ。「(分け隔てなく公平に生徒を評価するために)自分の中で物差しを持たなアカン」とよく言われたという。八幡商業高のベンチを見ていて、林さんが生徒から信頼されているのがよくわかったという。生徒に対する指導のところどころで林さんの言葉を思い出していたといい、「林先生がいたからこそ、私の高校野球の監督としての人生があったというぐらい、お世話になった。『ありがとうございました』の言葉しかない」と感謝する。

 ■「人生に夢を」

 林さんの長浜市の自宅には、林さんが揮毫(きごう)した色紙が置かれている。

 妻の孝子さんによると、林さんは9月14日に自宅で亡くなった。老衰だった。ここ2、3年は体が弱り、孝子さんが自宅で介護をしていた。林さんの手を握り「ありがとう」と声をかけていたという。

 林さんは、滋賀県高校野球連盟が1994年に発行した連盟史「球跡(たまあと)」に寄せたメッセージのなかで「湖国』に大旗を持ち帰りたいと願いながら、残り少ない人生を高校野球に、捧げたいと思っています」と記している。

 孝子さんは、野球一筋だった夫の人生を振り返り、思いをはせる。「野球があったからこそ元気でこられて、いい思いもさせてもらった。天国で思い出に浸って、にっこりしてるんちゃうかな

<記事・写真: 朝日新聞より>

【お茶の間無線局】 3.5MHz 中米・サンアンドレス島の「5K0UA」と交信出来ず

 中米のサンアンドレス島から現在「5K0UA」が各バンドでアクティブにオンエアーしている。しかし、この局は11月3日には閉局することになっており最後のチャンスだったかもしれない。

 「5K0UA」局が出てきた当初は連日激しいパイルアップが続き、ミニステーションの当局には交信の機会がなかったがようやく11月2日朝に24MHzと28MHzで交信が出来た。

 また、11月2日の夜も「3.5MHz/FT8」に「5K0UA」が出て来た。しかし、当局では相手局の信号は弱く、またJAのパイルもあったものの2度応答があったが交信は続かず尻切れになってしまった。折角、応答があり、交信できる貴重な機会だったが残念ながら3.5Mhzでは正式な交信には至らなかった。

 それにしてもこのところの3.5MHzの交信の成果は不調で、3.5MHzのバンドニューは全く増えていない。3.5MHz DXCCも当然増えていない。このままでは進捗が見られないのでいよいよアンテナの見直しが必要かもしれない。

【お茶の間無線局】西アフリカの「ガンビア」・「C5R」と交信に成功

 10月29日、14MHz/FT8でやっと西アフリカの「ガンビア」の「C5R」と交信に成功した。ガンビアはデジタルモードニューカントリーである。C5R10月19日~11月12日まで首都バンジュールから運用している。

  

 

 最近アフリカのレアカントリーへのDX-Peditionが続出している。現在運用しているのは下記のカントリーからであるが今後も目白押しである。

ガンビア: C5R                                                シエラレオネ: 9L8MD:                                          ブルンジ: 9U5RU                                               マダガスカル: 5R8XX/5R8TT/5R8IC

ガンビア                                                    セネガルに囲まれた、短い大西洋の海岸線をもつ西アフリカの国で、中央部を走るガンビア川周辺の多様な生態系で知られている。キアング西国立公園やバオボロン湿地保護区には、サル、ヒョウ、カバ、ハイエナ、珍鳥などのさまざまな野生動物が見られる。首都のバンジュールや近くのセレクンダには、ビーチもある。

 私は1979年にガンビアを訪れたことがある。ガンビア熱帯雨林地域にあり、ガンビア川の河口の三角州の大変小さな国である。気候は高温多湿で蒸し暑かった。独立前はイギリス領であったが昔、ガンビアは「奴隷貿易港」と言う負の過去を持つ国でもある。

「レイラック滋賀」 Jリーグ入会条件付き承認

          ↑レイラック滋賀(写真:レイラック滋賀HPより)

 東近江市などが拠点のJFL(日本フットボールリーグ)のサッカーチーム、「レイラック滋賀」は10月28日(火)、Jリーグ理事会でJリーグ入会を条件付きで承認された

承認の条件

(1)JFL最終順位が1位(自動昇格)か2位(J3最下位チームとの入替戦に勝利)

(2)平均入場者数が2000人以上

(3)年間入場料収入が1000万円以上


 今季のレイラックは、現在16勝5分5敗トップを維持しており、残り4試合の現時点で2位と勝ち点2点差。残りホーム2試合で1391人が来場すれば、平均入場者数と年間入場収入の条件を満たせる見込みという。

 尚、ホームゲームは、以下の会場で対戦する。

■第27節: 11月8日(土)13:00~

        「レイラック滋賀」対「FCマルヤス岡崎」

        場所: 甲賀市水口スポーツの森陸上競技場

■最終節: 11月23日(日)13:00~

        「レイラック滋賀」対「横河武蔵野FC」

        場所: 平和堂HATOスタジアム(彦根市

 いよいよ滋賀県のサッカーチーム「レイラック滋賀」がプロサッカーの「JリーグJ3」に加盟目前になって来た。J3JFLは毎年厳しい入れ替え戦が行われる。Jリーグのサッカーチームがない県の1つであったがJ3参加が正式に決まれば滋賀県初のJリーグサッカーチームとなる。J3入りを確実なものにするには残りのゲームを勝利することである。

 J3に格上げされれば、「レイラック滋賀」のホームグラウンドの1つである東近江市立総合運動公園陸上競技場「グリーンスタジアム」でも今後J3チームとのゲームが見られることになる。

 今後はホームグラウンドのある彦根市(人口110,000人)、甲賀(人口88,000人)、東近江市(人口110,000人)などを中心に、幅広い市民サポーターの強化が求められる。全国的にみればはるかに小さな市町がフランチャイズとなり、その市民、町民がファン、サポーターとなりチームを盛り上げているところが多くある。地元の「おらがチーム」としてこぞって応援しているのだ。それがチームを強くし、経営的にも安定するのである。

 長年、J1リーグを目標にしてきた「レイラック滋賀」だがようやく実現目前となり、もし、今年、Jリーグ入りが決まれば滋賀県として誠に嬉しいニュースである。実現するのを待っている。

レイラック滋賀

https://reilac-shiga.co.jp/